教員リレーコラム

新年号

舟橋 啓臣[理学療法学専攻]

現皇太子が天皇に即位される5月に、平成から新しい年号に変わる。4月に発表されるらしいが、どんなものになるのか楽しみではある。メディアでしばしば放映される「激動の平成時代」。30年前にテレビで、時の小渕総理が「平成」と筆書きした新年号を見せたときは、さすがに良い名前を考案するものだと感心した覚えがある。平成時代で記憶にあるのは何といってもバブル期だ。当時は名古屋大学第二外科の講師をしていて、研究・臨床など色々なことが上手く回っており、ある意味で絶好調だった。薬剤メーカーからの援助資金により、研究費も潤沢であったし、交際費も湯水のごとく使われていたため、不謹慎な言葉ではあるが遊びにも不自由しなかった、いわゆるバブリーな暮らしを満喫した時代であった。しかし、いつの頃からか、こうした交際費のチェックが厳しくなり、豊かに思えた暮らしから、庶民的な現実的な暮らしに一気に突入したため、当初は大いに不自由さを感じたものである。本来からすれば、バブル期は異常な時代と捉えなければならないのに、超豊かな生活に慣れてしまい、日本人全部が自分を見失っていた時代と言える。それから負の功罪を引きずって、デフレーションへの突入と同時に暗い時代に入り、うつむき加減の暮らしぶりになっていたところへ、リーマンショックが追い打ちをかけて到来した。そして、頻回に起きた地震・津波・豪雨などの天災。被害が途方もなく拡大し、何年もたっても未だに復興が進んでいないのが現状である。そして、これまで以上に甚大な被害が予想される、南海・東南海地震は明日にでも起きるかもしれないという。恐ろしいことだ。また、最近では、米中の貿易摩擦、米中露の新冷戦勃発の予兆、トランプショックともいえる自国第一主義の到来、英国のEU離脱、仏の政治的混乱、日韓の外交摩擦等々、政治的にも不安材料が目白押しである。一時流行した(今でもそうだが)グローバルという言葉。米英国において象徴されるように、今やグローバリズムは消退してポピュリズムに変わろうとしている。日本の政治もSNSなどの意見に流され、大衆に迎合していきはしないか心配だ。果たして、この国・日本はどこへ向かって進むのだろう。超高齢社会が進む中で、今の若者たちに無残な日本の姿を見せたくないし、悲惨な思いをさせたくないと、つくづく思う。せめて新年号は、希望や夢を持ちたくなるような、素晴らしいものになって欲しいと願わずにはいられない。
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