愛知医療学院短期大学

検索

教員リレーコラム

「セミの鳴く日」

臼井 晴信 [理学療法学専攻]

長女が生まれたのは4年前、梅雨明け直後の暑い天気のいい日でした。
その日朝早く病院へ行く時に、その夏はじめてセミの声を聞きました。

今年はまだ梅雨空が続きますね。

そんな中、我が家には梅雨末期の嵐のような出来事が起こりました。

妻のお腹には2人目の子がいて妊娠7か月でした。
しかし、急激に妻の体調が悪くなり緊急に入院することになりました。
それが土曜日の夜のことです。
たくさんの検査をされ、病室にも絶えず医師や看護師が出入りする状況に、私たちもだんだんと緊急性が高いことを理解してきました。

夜が明け、朝になって主治医は、
「今から帝王切開で子どもを出します」と言いました。
つい24時間前までは元気だったのです。
状況に追いつかない私たちは混乱しながらも、約3か月早い出産を覚悟しました。
子どもの大きさは大きく見積もって800グラム。
不安のピークにいた私たちに担当の看護師さんは、
800グラムの赤ちゃんの人形を持ってきてくれました。

その人形は私たちが想像したよりもしっかりしていました。
私たちはそれで少し安心して、小さな子どもを迎え入れる覚悟ができました。

幸い私たち夫婦は二人とも医療・福祉の専門職です。
どんな状態で産まれて来ても、どんな状態で成長しても可愛がろうと決意しその自信もありました。

そして手術室へ行きました。

その手術室は長女が4年前の同じ日に生まれてきた場所です。

約1時間後、手術が終わり子どもが誕生したことを聞きました。
そして手術室の前で対面します。
ちょうど4年前に同じ場所で産まれた長女を抱っこしながら、生まれた子を迎えました。
人工呼吸やいくつかのチューブに繋がれてはいますが、小さな可愛い女の子でした。
小さくても一生懸命動いており、顔も仕草も長女が生まれた時とそっくりでした。

妻の入院からたったの12時間程度。
あっという間の出来事に追いついていない状況でしたが、少し安心しました。

その後、一度私たちは控室に戻りました。
駆け付けた妻のお母さんが、「良かったね」といってローソンの赤飯のおにぎりをくれました。
そこで初めてお祝い事だということに気づきました。
涙があふれてきました。

出産が終わり、医師からの説明を受けました。
子どもはある程度成長するまで新生児ICUに入院します。

数時間後、一人で新生児ICUへ行き、小児科医の話を聞きました。
合併症や後遺症、どんな危険があるかなど様々な怖い話を聞かされました。
幸か不幸か、医師の説明の全てを理解してしまうので、不安は倍増していきました。

しかしその後、生まれたばかりの子どもに触れることができ、
「こんなに小さい時から、お子様の顔を見て触れてあげられるなんて貴重ですね」
と言われました。

他の親ではできないことを、私たちはこの子にしてあげられるかもしれない。
普通はエコーでしか見れないはずの時期に、顔を見て触れて抱っこをしてあげられる。
不安は一気に希望に変わりました。
それと同時にこういう時の専門職の言葉って本当に大切だなと再確認しました。

異変を感じて入院してからまだ15時間程度の出来事でした。

私も妻も状況を飲み込めないうちに、
不安以外の感情を何も感じることなくどんどん事が進みました。

冷静さを保てたのは、医師や看護師の的確な説明とアドバイスや声掛け、義理の母からの言葉や、職場の方からの温かい声など周りの方たちの支援のおかげです。
周りの人たちの支援は、梅雨末期の嵐の中、シェルターのように私たちを守ってくれました。

落ち着きを取り戻した時、感謝の気持ちが溢れてきました。

今は長女との束の間の二人暮らしを楽しんでいます。
長女も少しずつ成長し、リトルママになりつつあります(恐怖)。


次女が生まれた直後、荷物を取りに行こうと病院を一度出たとき。
梅雨空がひと段落し晴れ間がのぞく中、
この夏はじめてセミの声を聞きました。

NEXT ≫ 2019.08.02 石川 清 [学長]

教員リレーコラム