教員リレーコラム
「オオハナアブに思う」
石黒 茂 [作業療法学専攻]
今年の夏は例年になく乾いて暑かった。7月末、久々に高山の家に行くと、庭の草全部が立ったまま枯れ、一面が茶褐色に染まっていた。隣の空き地もそうである。この地では長いこと雨がまったく降らなかったらしい。これまで一度も見たことがない異様な景色であった。
庭の草と言ってもほとんど雑草なのだが、せっせと植えたシバザクラも全滅しているのを見て、妻が嘆いている。それでも、植木に被害が及ばなかったことは幸いであった。枯れた草とは言え、そのままに放置しておけず、草刈りをすることにした。乾いた地面に巣を作っているジガバチは迷惑そうに飛び回っているが、こういう時は、電動草刈り機のありがたさが身に染みる。
ここ数年、高山でも夏の日中は暑さが厳しい。かつてそんなことはなかったが、山の中でもクーラーが欲しくなる。
そんな暑さがやっと収まってきたと思ったら、今度は台風である。近くの川の水位が上がり、家のある地域に避難勧告が二度も出た。一度は風も強く近所の家の屋根瓦が飛んだり、物置小屋がひっくり返ったりしたらしい。こんなことも初めてである。家がどうなっているか心配で、台風後に見に行ったら、庭に雑草が生い茂っている。また大変だと思いながら、草刈りを始めた。しばらくして、用水越しに、隣の空き地をふと見ると薄紫色の花が一面咲き乱れている。放置されだした数年前から侵入しだしたノコンギクだ。「何かいる」と興味津々近づいてみると、1㎝余りの丸っこい虫が花に一杯集まっている。腹部に赤黄色の帯が目立つのでオオマルハナバチかと思ったが、ちょっと違う、オオハナアブであった。
オオハナアブ自体は日本全国に広く分布しているが、私にとっては目新しい昆虫である。生物学に係わっている者の性であろうか、見慣れぬ生き物に出会うと、気分が高揚する。頭の中のモードが切り替わる。これが、レイチェル・カーソンの言う「センス・オブ・ワンダー」なんだろう。
それにしても、自然の力は素晴らしい。過酷な夏の天候で一面枯れ果て「死の世界」になっても、それを乗り越えて「生の世界」が蘇ってくる。こんな自然をぞんざいに扱ってはいけない。ノコンギクとオオハナアブたちを見ていて、あらためてそう思った。