教員リレーコラム
「できていない」は「やっていない」?
横山 剛 [作業療法学専攻]
最近「○○ができていなくて・・・」という発言をよく聞く。この「できていない」は、○○をしていないために「できていない」のか、最大限○○に取り組んだ結果として「できていない」のかが不明な表現の仕方である。「○○ができていない」の表現は、「○○が完了していない」状態をただ示しているのであって、これまでの取り組みや経過などは示してはいない。
このような表現をする人たちは、それを知ってか知らずしてか多用しているように見える。私はその都度その表現をする人に確認をするようにしているが、そうすると今度は「○○は下手で・・・」とか「○○は苦手で・・・」「○○はやったことがないので・・・」などと返答するので、結局は「やっていない」のだと分かる。「できていない」は体の良い言い訳なのであって、あまり気持ちよくは受け取ることはできない。
学生教育において、学生がわからないことを教えて欲しいと教えを請う姿に私自身は大変励まされ、その学生となんとか分かち合いたいと思うのである。ただ私にもわからないことがあるから、その時は時間をいただくようにしている。このような活動を通して学生たちと「共有する」とか「共感する」といったことを学んでいくわけである。教科書に書いてある共感についてなどを読み暗記しただけで共感することができるなどと思わないほうが賢明であろう。
日本語の誤用によって日本語自体が変わってきたことは事実である。がしかし相手にありのままの自分の姿を謙虚に正直に示し、他人に教えを乞うことがあたかも悪であるかのような思い違いをしない生き方は大変潔いのだと思う。