教員リレーコラム
フェイクとポスト・トゥルース
石黒 茂 [理学療法学専攻]
「あんちゃん、フェイクだよ、フェイク」
突然流れてきた言葉にドキッとしてテレビを見ると、何と「○ェイク」という車のCMであった。トランプ大統領の当選以来、フェイクニュースという言葉をよく耳にすることもあり、つい聞き間違えてしまった。
今、ネットを見れば、フェイクニュースの話題には事欠かない。本当かどうかはわからないが、トランプ大統領の当選もフェイクニュースのお陰だとしているものもある。日本ではやっと注目?されるようになってきたフェイクニュースは、以前からアメリカでは問題になっていたようで、多量にネット上に出回るフェイクニュースに何が真実か分からない状況にあるそうだ。
就任直前の記者会見で記者の質問を遮り、「CNNはフェイクニュースだ」と決めつけたトランプ大統領だが、彼自身も選挙中から事実に基づかない演説やツイートを繰り返してきたと批判を浴びている。マスコミのいくつかは、大統領の記者会見や発言に注釈を付け、検証記事を書き、「嘘メーター」を付けているウエブサイトもある。しかし、問題は深刻だ。選挙中の昨年9月にギャラップ社が行った調査では、大手メディアを信頼するアメリカ国民は30%ほどで、トランプ氏の発言の反証に、支持者は全く耳を傾けなかったと言われている。これも既存のメディアが急速に信用を失い、言葉に信頼感を失ったからだ。
イギリスのEU離脱を決める投票の時もそうであったが、今回のアメリカ大統領選挙も、マスコミの報道や評論家の発言とはまったく異なる結果が出た。本当にフェイクニュースに操られ、予想外の方向に大衆が動かされただけなのだろうか。今までマスコミや知識人と言われる人たちは、自分たちの思っている方向に、あたかもそれが真実のようにニュースや発言を繰り返し、世の中の流れを作ろうとしてきただけではないかと思えてくる。しかし、胡散臭さがだんだん透けて見えてきて、SNSなどでマスコミ離れした国民はもうそんな言葉に耳を傾けなくなったのが真相のような気もする。むしろ、オックスフォード英語辞典が2016年のワード・オブ・ザ・イヤーに選んだ「ポスト・トゥルース(post truth)」の方が事情を説明するのに適切だ。
オバマ前大統領が最後の演説で警鐘を鳴らしたように、「真実よりも個々の感情や、自分がどう思うかが重要」で、自分の思ったとおりのことしか信じない状況、いわゆるポスト・トゥルースが定着し、ポスト・トゥルース時代に本当になってしまうのか心配である。しかし、これは何もアメリカだけの特別な話ではない、私たちの日常の話の中にもあることだ。
「平然と、ドデカクつかおう。フェイクだよ。」
「すげー!」
となるのだけはやめてほしいと願わずにはいられない。