愛知医療学院短期大学

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教員リレーコラム

舟橋 啓臣 [理学療法学専攻]

毎晩、ビールのレギュラー缶を3本、というのが365日の日課であり、これが何十年と続いているのに、毎年の健康診断ではコレステロールや血糖、γ-GTP値も正常値より低いくらいで、しかも血圧も正常範囲である。それには周りの人達から驚嘆の目で見られる。只々健康で頑丈な体に産んでくれた親に感謝するばかりである。思い起こせば、アルコールを初めて口にしたのは大学1年(18歳)の頃、裕福な家の家庭教師をしていて、夏休みに松本の扉温泉の旅館で1か月間、生徒と一緒に合宿をした際に、旅館にホームバーがあり、そこでカクテルを飲まされたのが始まりであった。口当たりが良くて、ただ酒であり何杯もお代わりをしているうちにアルコールに強くなったようだ。ビール党になったのは、医師になって8年後に想像も出来なかった名古屋大学附属病院の教官に就いて、仕事や人間関係で毎日がストレスの塊になってからである。どんな形でもいいので、その日のうちにストレスを解消しておかないと、次の日に入れない心境だった。手術、外来診察、学生講義、学会準備、論文作成など自分のことだけでも多くの時間と労力が必要であるのに、最も大変であったのは後輩の手術手技や論文校正などの指導に費やすエネルギーであった。したがって、自分の仕事では、遅い帰宅後、夜の11時ころから1時、2時まで続けないと、論文が期日までに完成できなかった。本当によくやってきたと思う。ビールはそうした疲れを癒すための必需品であった。また、当時の大学時代は飲み会が相当頻繁にあり、トップにいた先輩があまり上手く立ち回れない人だったため、中心になって飲み会の席を盛り上げなければならず、飲みすぎて酔いつぶれるのが常であった。よくまあ死なずにいられたと、大げさでなく思うし、周りの気の置けない連中からもそう言われ続けてきた。その仲間とは今でも温泉友の会で毎年飲み会を続けている。10人くらいで温泉旅館に泊まり、夜更けまでビールや、持ち込んだ日本酒とつまみで楽しく語らい合っている。日本人にとって、酒は本音を言い合えるための本当に良いツールであり、「まあ一杯やりながら」というのは日本独特の文化である。しかし、最近は何故酒が必要なのかとか、上司と一緒に飲むのがいやであるとか、酒文化が廃れつつあり寂しく思えるのは年を取ったせいなのか。年を感じるのは酒量が減った時にも同じである。弱くなったものだ。40代の頃はウイスキーを1本ごと空けてしまったことすらあるのに。でも、年を重ねるごとに、枯れた酒の飲み方が出来るようになったとすれば、それはそれで恰好良く、目指すべき姿ではある。

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