教員リレーコラム
本を読んで感動できるということ
舟橋 啓臣 [理学療法学専攻]
「一休さん」と言えば、トンチの名人で名前を知っている人がほとんどであろう。しかし、実は全く異なる顔の持ち主である。彼の代表作に「狂雲集」という書があるが、その中に驚くような記述がある。時の権力に反逆精神を顕わにしているだけでなく、飲酒・肉食・女犯など、禅宗の僧にあるまじき破壊行動を堂々と行っているのだ。中でも、側めとして置いた盲目の女性「森」との性描写などは唖然とせざるをえないのであるが、小説の解説者は、これらの行状を一種の宗教批判、時代風刺と捉えているようである。京都紫野の大徳寺にある真珠庵は一休宗純が開祖とされており、自分がまだ40歳代のころに数回訪れた際に、一度だけ大切に保存されている一休像に遭遇できたことがある。その表情が禅宗の僧侶とはかけ離れた、拗ねたような眼差しでこちらをじっと見やっており、いかにも風況の詩人らしいと、感激を覚え満足した気分であった。大徳寺はいくつもの書院から成っている大きな寺院であり、この真珠庵の他に紅葉の美しさで知られる高桐院がある。折しも初夏であり、楓の若葉が素晴らしい緑色で、広縁に寝転んで仰ぎ見ると、若葉の隙間を通して青空が澄んで、微かにそよいだ葉が揺れ、白く光った葉裏がまばゆく感じられたのが忘れられない。優雅なひと時を味わうことができ、この書院を訪れたことに大満足であった。実は一休さんに興味をひかれたのは、他ならぬ立原正秋の小説がもとであり、つくづく感動できる小説と出会えたことの幸運を感じざるを得なかった。
ところで、つい先だって、「田中角栄100の言葉」という本を読んだ。彼は宰相としては考えられない学歴で、小学校しか出ていないことはよく知られている。それもあってか、「学歴は過去の栄光であり、大切なのは学門である」と言っている。この本の中で、言葉としては載っていないが、母親であるフメについての件がある。総理大臣になった息子がブラウン管の向こうで汗をかいているのを見て、テレビ画面をハンカチで拭いていた。それを見た支援者からは小さなすすり泣きが漏れたという。見事な演出と感動した。
感動できる小説に出会えることって、本当に素晴らしい。しかし、昨今の若者の活字離れには残念を通りこして悲しい気分になる。スマホへののめり込みが原因だが、取りも直さずコンピューターに毒された現代の姿である。すでにアンドロイドまで作られ始めに至っては、病んだ世界へ突入していると言わざるを得ないと感じる。