教員リレーコラム
「あっしには関わりのないことでござんす」
鳥居 昭久 [理学療法学専攻]
寒い季節になりました。
古いことで恐縮ですが、昔、「北風小僧の寒太郎」という唄があって、NHKのみんなのうたで流されて、ちょっとした流行歌になったことがありました。今でも、寒い北風が吹き付ける季節になると思わず口ずさんでしまうオヤジも少なくないのでは...。この寒太郎の姿からは、さらに古い話になるけれど、某民法テレビで大ヒットになった時代劇「木枯らし紋次郎」扮する渡世人の姿が浮かんでくる。この紋次郎の有名な台詞が「あっしには関わりのないことでござんす」である(現代風?にいえば、「俺には関係ねぇ」ってことかな)。もちろん、紋次郎は、時代小説の中の架空の人物ではあるけれど、関係ないと言いながらもトラブルに巻き込まれつつ誰かと関わりを持ち、ストーリーが展開するドラマは、どこか人間の悲哀と人情を感じるもので大ヒットとなったと記憶している。
ところで、一昔前に「そんなの関係ねぇ」などとお笑い芸人がヒットさせたこともあるけれど、最近の風潮は、「関係ない」ことは、本当に関係ないので驚く場面が少なくない。もちろん自分もそうなってきているのかもしれないと不安になる時もあるのだが...。これは決して若者だけのことではない。独居高齢者の孤独死などの報道が散見されるように、昔は向こう三軒両隣などと言われる近所付き合いはほとんど無くなり、マンションなどでも隣や上下階に誰が住んでいるか知らない、なんてことは少なくない。誰が住んでいても、直接影響が無ければ「関係ない」わけである。むしろ、お互いどんな人であるか、どんな家族であるか、どんな生活しているかなんて、知ろうとすること自体が大きなお世話になっているのである。小生も田舎育ちなので、このような時代に戸惑いながらも、小生の住んでいる場所には子供会すらないので、これが当たり前のコミュニティーの形になりつつあることを否定できない。
お互い干渉しなければ、「関係ない」社会でも良いのかもしれないけれど、電話の向こうにいる他人の孫や息子になりすまして、大金を巻き上げる詐欺が横行している昨今、自分には「関係ない」人であれば騙しても「関係ない」のか、そんな犯罪に関わる若者が少なくないようで、小遣い稼ぎに高校生くらいの年齢の者でも荷担することがあるそうで、とても悲しいことである。
どうして「関係ない」世の中になってしまったのか?
「あっしには関わりのないことでござんす」とは言えない心持ちの小生である。